カミジョウミカさん 長野県
パラリンアートカップ2017グランプリ
いまでも興奮気味に、あの日のことを話してくれます。
小学校の修学旅行で行って以来の東京に、北陸新幹線に初めて乗っていきました。『何を着て行こうか』と悩みましたが、好きなベレー帽をかぶることにしました。表彰式というもの自体も初めての経験でしたので、新幹線に乗るときから緊張してしまって」
長野県安曇野市に住む上條美香さんが、筆名カミジョウミカさんとして、初めて大きな賞を受けたのが、2017年の「SOMPOパラリンアートカップ」でした。サッカーとバスケットボールをテーマに障がい者が描いた758点のアート作品の中から、高い評価を受けてグランプリ(最優秀賞)を受賞。「まさか、いきなりグランプリをもらえるとは」と驚きのほうが大きかったと、当時を振り返ります。
2017年12月に行われた表彰式
受賞作『みんなでなかよくサッカーしよう』は、一つのボールを世界中の老若男女が囲んでいる色鮮やかな一作。人間だけでなく動物も加わってみんなでサッカーを楽しむ姿に、世界平和への願いを込めて描きました。都内のホールで行われた表彰式では、純銀製のシャーレ(銀皿)を車いす姿で受け取りました。
画家としてのそれからの活躍はめざましいものがあります。受賞までは地元での個展が主な発表の場で、コンペでも佳作や入選がほとんどでしたが、同じ17年に長野県障がい者文化芸術祭でも最優秀賞に。2019年には産経はばたけアート公募展で大賞を受けました。
パラリンアートカップでもグランプリの翌18年に日本ラグビーフットボール選手会賞に選ばれ、23年には初めて実在の人物をモデルにした作品で北澤豪賞を受賞します。
その独創的な作風は各企業や団体からも注目され、2018年には神奈川県横浜市の横浜駅近くにあるフードコートにユーラシア大陸を壮大に描いた壁画を描きおろしました。今年は眼鏡メーカー『JINS』の眼鏡ケースと眼鏡拭きにも人間の脳を描いた作品が採用されて、全国の『JINS』店舗で売り出されました。
生まれながらの骨の異状に苦しみ、14歳から車いす生活に入りました。19歳のときに入院していた病院で看護師の絵をデフォルメして描いたことから創作活動をスタート。2004年には軽井沢町で初個展を開きます。独学でペン、絵具、デジタルと画風を深めて空想から広がる夢の世界を描き続け、2014年には東京で個展を開くまでに。その創作活動に大きな転機が訪れたのは2020年のことでした。信州大学での精密検査の結果、遺伝子の異状というだけで詳しくは原因不明と言われてきた病気が、世界に5人だけで、日本には他に患者がいない「常染色体劣勢遺伝性疾患アノーゼティック異形成症」と判明したのです。
そこからは、病名につく「異」の字にこだわる創作に打ち込みます。他人とは違う自分を個性ととらえ、2026年に開いた個展のタイトルを『異色異音ナル世界』として、楽譜に絵を描くなどの新境地を開きました。「自分の病気のことを知りたいという思いもあってそれまでも人体などを題材にしていましたが、病名がわかってからは脳の仕組みなどにも関心が出てきました」
2025年の春、突然両肩に力が入らなくなりました。腕も手も使えず、1日に10数時間にわたって描き続けていた作品に向かえなくなります。「生きがいというよりも、生きることそのもの」という絵を奪われそうになる事態に、目の前が真っ暗になりました。が、投薬が効いたのに加え、力を入れずに使える補助具を取り入れることで創作活動に復帰。1日あたりの創作時間をセーブするようになりました。「体のあちこちにこうした症状が出てくる可能性もありますが、受け入れていくしかありません。信州大学で診断してくれた先生が頼りなのですが…。いまは1日に10時間程度に時間を短くして描いています」
再び絵を描ける喜びが表現されたのが、前回2025年に澤穂希賞を受けた『カラフル世界でサッカーしたい』でした。9年前のグランプリ受賞作を想起させる作品ですが、近年カミジョウさんが暮らす長野県でも広がるインバウンド現象も反映して、人物の肌や髪の色がより多彩になっています。「絵が描けなくなるという体験をしたこともあって、原点に返ってカラフルな絵を描こうと思いました。女性をできるだけ描こうと思っていたので、同世代の澤さんに評価されてうれしいです」
グランプリ受賞の後も3つの賞を受賞したカミジョウさんは、スポーツを通して垣根のない社会を作ることを目的にするパラリンアートカップの歴史そのものです。ラグビー賞の審査員だった漫画家くじらいいく子さんや現役選手との交流もできました。「パラリンアートカップは人との交流を作ってくれる場。これからもカラフルで楽しい絵を描いていきたいです」
文/伊東武彦(スタジオ・モンテレッジォ)